学校日記

1975年(昭和50年) 開校3年目 児童数急増とプレハブ校舎での学校生活開始

公開日
2025/08/16
更新日
2025/08/12

学校・学区の歴史

開校3年目を迎えた本校は、ここで一気に児童数185名増の682名となり、学級数も4学級増の19学級となります。
前年度末に建設されたプレハブ校舎は、現在の職員室前の運動場に建設されていました。
すぐに現在の北校舎の増築工事が6月に始まり、完成は12月となります。
完成した北校舎は現在の渡り廊下より西の運動場側で、今多くの教室がある部分はまだ校舎となっていませんでした。
また同時に運動場から現在の二本木保育園の方向に向かうところの東門を拡張する工事が行われました。
美園町から本校に来る子供たちが安全に通れるようにと地下道も完成し、渡り初めが行われました。
現在体育館前面に飾られている洋画はこの時に寄贈されました。
作者は鈴木睦氏で、1929年(昭和4年)西尾市生まれ。
1953年愛知第二師範本科(現:愛知教育大学)卒業。同年(昭和28年)日展特選で岡田賞を受賞されます。
県立学校の教鞭に立ち、愛知県立吉良高等学校長・愛知県立豊橋商業高等学校長を歴任、平成2年にご退職された方です。
また、1984~1985年(昭和59・60年)には愛知県陶磁資料館 (現:愛知県陶磁美術館)で副館長・学芸部長も務められました。
2012年(平成24年)にご逝去されています。
この絵の寄贈時期から考えると、現職で高校の先生を務めながらの製作だったことがわかります。
また、旧幡豆3町を含む現西尾氏の様々な学校に鈴木氏の絵画作品が所蔵されていることから、精力的に活動をされた一環で本校ともご縁があったようです。
蒲郡三谷のヨットハーバーを描かれているのも、納得がいきます。

この地域の大きな出来事としては、二本木土地区画整理事業により、年度末に二本木町から美園町と緑町に分町されました。
また、安城市立みその保育園も開園しました。


この時の日本や世界の出来事を振り返ります。
世界ではこの年、ベトナム戦争が終結します。
エリザベス女王が来日したほか、田部井順子さんが女性として初のエベレスト登山に成功して大きなニュースとなりました。
また、日本ではこの年度末にロッキード事件の捜査が始まります。
この年に国鉄のSL(蒸気機関車)が最後の客車運行を行い、これを持ってSLの通常運行はなくなっています。
(現在行われているSLの運行は「動態保存」と言われます。)
愛知県下の国鉄は1955年(昭和30年)には電化が進んでいたので、おそらく本校開校前には学校の横を客車をひくSLが走る姿はなくなっていたと思います。
この頃に本校区ゆかりの「ミスターVHS」高野鎮雄氏にまつわる「ビデオカセット」が登場し、フリスビーや黒ひげ危機一髪ゲームが大ヒットします。昔は黒ひげが飛び出したら「勝ち」でしたがいつのまにか逆になり、2025年7月5日発売の7代目モデルで再び「飛び出したら勝ち」という公式ルールに変更したそうです。
テレビは「欽ちゃんのドンとやってみよう」「Gメ75」「フランダースの犬」「俺たちの旅」「クイズダービー」などの人気番組が始まりました。
皆さんご存知のポテトチップスもこの年に販売が始まっています。