1973年(昭和48年) 開校の年 安城市立二本木小学校の船出
- 公開日
- 2025/08/16
- 更新日
- 2025/08/11
学校・学区の歴史
1973年(昭和48年)4月1日、安城市立安城中部小学校二本木分校は、安城市立二本木小学校に改名し、安城市14番目の小学校として産声を上げました。
(実際には市内には統廃合などもあり、もっと学校はありました。例えば二本木小学校創立より前の1971年には、安城市立城ケ入小学校と安城市立泉小学校が統合されて、安城市立丈山小学校が新設されます。また、1960年には当時は碧海郡桜井町だった桜井町立桜井北部小学校・桜井中部小学校・桜井南部小学校を統合されて桜井町立桜井小学校(現在の安城市立桜井小学校)となりました。14番目というのは、安城市に現存する小学校の建制順です。)
開校1年目の児童数は393名、学級は10学級ありました。
全校で遠足に行ったという記録があります。
5月には蒲郡市の大塚海岸に、10月には名古屋市緑区の大高緑地公園に出かけています。
記録を見ると、東刈谷駅が1966年(昭和41年)に開業しています。
この駅は、刈谷市を中心に安城市も協力して駅設置を請願し、建設費用等も出して設置された念願の駅だったそうです。
(当時は依佐美駅・野田駅なんて候補もありましたが、誤読や既存駅と同名等の理由で「東刈谷駅」となったそうです。)
おそらく学校から歩いて東刈谷駅に向かい、当時の国鉄(現在のJR)で出かけたと思います。
(当時の写真などをもっている方の情報をお待ちしております)
さらには開校初年度にプールも竣工されて7月にプール開きを行っています。
当時は夏休み中もプール開放等がありましたので、連日大賑わいだったようです。
校舎とともにプールも、半世紀を超える歴史があるのです。
運動会は春と秋の2回行われていました。
特にこの年は開校記念として「二本木小学校区総合運動会」が開催されたそうです。
現在は販売価格高騰のため中止となっている「制帽」も、この年度の1月に制定されました。
3月には現在も使用している校旗がつくられ、鼓笛隊(現在はありません)が結成されました。
この年の日本や世界は、次のような出来事がありました。
10月に江崎玲於奈さんが「ノーベル物理学賞」を受賞されました。
一方でこの10月には、世界の石油販売会社が日本に原油供給を減らすという通知を出します。
これが「オイルショック」と呼ばれる事態となります。
うわさが噂を呼び、店頭からトイレットペーパーが消え、以後各地で買い占め騒動が起きました。
政府も12月には「石油緊急事態宣言」を発出するほどでした。
この年には本州と九州を結ぶ関門橋が開通しています。
また、戦争が終わって30年近くになりますが、長年終戦を知らずに当時の日本兵が隠れていました。
フィリピン・ルパング島で元日本兵小野田寛郎さんが救出され、1974年3月に帰国しています。
「ごきぶりホイホイ」はこの年に発売を開始。
超能力者ユリ・ゲラーが出演するテレビ番組が大きな話題となったのもこの頃でした。