1974年(昭和49年) 開校2年目 体育館の完成と校歌の制定
- 公開日
- 2025/08/16
- 更新日
- 2025/08/11
学校・学区の歴史
開校2年目を迎えた安城市立二本木小学校は、児童数497名(前年度より104名増)、15学級(前年度より5学級増)でスタートしました。
春の遠足は全校で豊橋こども自然公園(現在の豊橋総合動植物公園「のんほいパーク」)に行ったそうです。
やはり国鉄沿線駅の最寄施設ですので、全校で電車で出かけたと思われます。
しかし、秋の遠足は次第に児童数増となって全校では難しくなったのか、目的地が異なるようになりました。
体育館がこの年の11月に竣工しました。
あわせて11月には校歌が制定され、体育館竣工式と校歌制定発表会を開催しました。
2月には体育館を使って学習発表会が、3月には体育館での卒業証書授与式が行われました。
航空写真を見るとわかるのですが、当時の校舎は現在の南館と職員室のある本館のうちの渡り廊下あたりまで。
北館はなく、昇降口も現在の南館にあるもののみだったと思われます。
体育館やプールにつながる道は見当たりません。
学校のまわりは若干の民家がありますが田畑が多くみられます。
学校の南・西側に明治用水の支流が現在も豊かな水を送っていますが、なぜここまで明治用水が来ているのか、この写真を見ると理解できます。
現在の若葉公園には、安城市立わかば保育園(現在の二本木保育園)がみられます。
わかば保育園は1968年(昭和43年)に開園しており、二本木小学校よりも古い歴史をもちます。
ちなみに、学区内にある私立二本木幼稚園はこの年に開園されたそうです。
実は、このあとに児童が急増することが予測され、3月末にはプレハブ校舎が完成、5教室を増加しました。
ユリゲラーの超能力がブームとなりました。
「セブンイレブン」「デニーズ」「サーティーワンアイスクリーム」といった現在でも著名なチェーン店の第1号店がこの年に開業します。
日本に「モナ・リザ」がやってきて大旋風を巻き起こしました。
10月にはミスタープロ野球、長嶋茂雄氏が引退します。
私は今日ここに引退いたしますが、「我が巨人軍は永久に不滅です」という名言を残されました。
佐藤栄作前首相が日本人初のノーベル平和賞受賞者となりました。
受賞理由は、アメリカの支配下にあった沖縄を平和的な交渉で日本への返還を実現させたこと、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則を国の方針として唱えたことなどが挙げられています。
海外では、ウォーターゲート事件でアメリカのニクソン大統領が辞任するなどの混乱が起きていました。
1964年に東京から新大阪まで開通していた東海道新幹線は、1972年3月には新大阪から岡山までの山陽新幹線が開業されて接続していました。
1975年3月には、岡山から博多まで開通。東海道・山陽新幹線が全線開通し、所要時間6時間40分ほどで東京から博多まで行けるようになりました。
ちなみに現在は所要時間約4時間50分から5時間です。