おとなりのまち刈谷市野田町で本日開催される「野田雨乞笠おどり」~江戸時代の二本木地区は同じ野田村でしたので雨は心配だったかも…~
- 公開日
- 2025/08/24
- 更新日
- 2025/08/23
学校日記
今日は、私たちの住んでいる地域と昔は密接につながっていた(同じ村だった)おとなり刈谷市野田町で本日行われる「野田雨乞笠おどり大会」の紹介をします。
ここ二本木地区は、今でこそ安城市なのですが、それより以前は碧海郡依佐美村でした。
刈谷市に依佐美町がありますが、そこよりこの二本木地区一帯までが村域でした。
それより以前、このあたりは野田村でした。
現在JR「野田新町駅」という駅名や国道23号線の高架バイパスを乗降するところのインターチェンジ名が「野田インターチェンジ」という名前があります。
かつて東刈谷駅を誘致した際、名称の有力候補は「野田駅」でしたが、他府県に同名があり断念したという話もあります。
二本木小学校ができる前、さらには安城中部小学校にバス通学する前の、依佐美村時代の二本木地区の子どもたちは、今は廃校となっている「依佐美村立野田小学校」に通学していました。
なのでこの「野田」という地名は私たちにとっても所縁があり、市域を超えてこの地区は隣接している刈谷市域の町とはもともと同じ村でした。
(う~ん、これだけでも自由研究のネタになるね!)
そんな現在は刈谷市野田町一帯の氏神様である野田八幡宮では、本日「野田雨乞(あまごい)笠(かさ)おどり大会」が行われます。
🌿野田雨乞笠おどり大会のお知らせ🌿 – 野田雨乞笠おどり保存会
「野田雨乞笠おどり」って、何でしょう。
雨乞笠おどりの由来と伝承 – 野田雨乞笠おどり保存会
これは、野田八幡宮で行われる雨ごい、つまり、「雨よ降れ!」と神様に祈る儀式です。
雨を降らせるために「笠(頭につけるかさ)で踊る」のです。
紅白の紙で飾られた笠を浴衣姿でかぶり、2人1組で踊るそうです。
雨ごいの歌があって、それにあわせて太鼓をたたきながら太鼓を囲んで踊るそうです。
1712年、つまり江戸時代の徳川吉宗が8代将軍になるちょっと前に行われた記録が最も古いそうです。
記録が残っているのがそこまでなので、それより昔からやっていたかもしれません。
そして、その後もたびたび行われていたそうです。
ということは、現在隣町である野田町で日照りなどによる雨ごいが行われているので、二本木地区も同様に日照りなどでは困っていたのかもしれません。
実際、駅横を流れているのは「明治用水」ですので、これは水が必要で矢作川からわざわざ引っ張ってきた水です。
江戸時代は確かに困っていたかもしれません。
美園町の吹戸川は確かにありますが、この川は低いところを流れているので、今の学校の位置まで水をひくことは難しいですね。
(そうやって考えると、明治用水を引くっていう発想をもった先人はすごいですね。)
実際にはどうだったのでしょう。
この踊りは、太平洋戦争によって1942年に中断しました。
二本木地区は1955年に安城市に合併します。
野田雨乞笠おどりは、刈谷市野田地区の方によって1979年に復活します。
その後保存会をつくられ、刈谷市立朝日小学校を始めとする地元の子どもたちの手で受け継がれているそうです。
刈谷市立朝日小学校ホームページ
現在は、刈谷市の無形民俗文化財に指定されています。
野田雨乞笠おどり大会 | 刈谷市観光協会公式ホームページ
野田雨乞笠おどり大会 | 【公式】愛知県の観光サイトAichi Now
わたしたちのまちには新しいものばかりで、古いものなどないと思っている皆さんがいるかもしれません。
しかし、その歴史は古くて、今でも残されているものやその後当時の息吹を吹き返したものなど、様々なものがあります。
そういうことを探るのも、面白いことだと思います。
本日もし機会があれば、今日の野田雨乞笠おどり大会というものをのぞいてみてはいかがでしょうか。