最新更新日:2024/05/19
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JR東海三河安城駅×二本木小学校 6年生「二本木の大力の黒牛」展覧会が、なんと新幹線改札前コンコースにて開催!

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12月18日より、JR東海道新幹線三河安城駅のご協力のもと、三河安城駅コンコース(新幹線改札前広場)において、本校6年生の絵画を展示していただいております。
展示期間は1月8日(月・祝)の冬休み最終日までです。
このお知らせは、昨日付けのX「【JR東海公式】三河安城駅 Mikawa-Anjo Sta.info」@JR_Mikawa_Sta)にも掲載されました。


6年生は、総合的な学習の時間「ヒカレ二本木応援隊」の一環として、「二本木小学校区の歴史について学ぶ」機会を設けました。その際、令和5年に生誕110年を迎えた新美南吉の作品「大力の黒牛と貨物列車の話」に出会いました。
現在JR安城駅ホームから見えるウォールペイントにもある本作品の牛が、実は「二本木(JR三河安城駅付近)の大力の黒牛」であると書かれています。
それ以上のことは、お話を読んで想像をするだけです。
そして、二本木には牛を飼っているような風景があったこと、今伸びている線路には昔機関車がもくもくと煙を出して走っていたこと、牛を連れて安城駅まで歩いて行ったことなど、当時の様子で浮かんでくるものも数多くありました。
そこで、お話から児童が自由に発想を膨らませ、自分なりの「二本木の大力の黒牛」を絵で表現しました。
JR東海三河安城駅の駅長さんをはじめとする皆さんは、6年生の絵画の掲示や装飾など、展示会場としてご協力をいただくだけでなく、すべてを地域のためにとご準備いただきました。今回は、6年生児童が描いた絵のうち51点を、東海道新幹線三河安城駅コンコースにて展示しておりますので、ぜひお越しいただければと思います。

地域のために、アットホームに温かく私たち小学校にも接してくださる三河安城駅の皆様のやさしさに触れながら、素敵なクリスマスプレゼントをいただいた気持ちで展示を眺めさせていただきました。
新幹線駅に絵が飾られる学校なんて、素敵ですね。

6年総合「ヒカレ二本木大作戦」〜二本木の昔を感じられる新美南吉作品「大力の黒牛と貨物列車の話」をもとに黒牛の絵を描きました〜

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6年生は総合的な学習の時間で、「ヒカレ二本木大作戦」を展開しています。
特に昨年度の二本木小学校50周年を受け、この地域の歴史を探っていくことになりました。
そこで、今年生誕110年となる「新美南吉」の話に出会いました。

2年生の廊下に、今から10年前の先輩たちが作成した、キャップアートがありました。
大きな黒い牛が描かれていて、「新美南吉生誕100年」とあります。
様々なお話がキャップアートになっています。
この、新美南吉の童話の中に、二本木が出てくるお話があります。
「大力の黒牛と貨物列車の話」と言います。

二本木とどんな関係があるかというと、この話に登場してくる「与(よ)ささ」が二本木の人で、この人が飼っている黒牛が主人公。とにかく大力で有名なんですが、この噂を脅かす存在が…。というお話です。

どんなお話かは、こちらへ。
(長い話なので、申し訳ありませんが一部を省略しています)

新美南吉は半田の人です。
安城市の新田町に下宿し、桜町にあった安城高等女学校(現在の桜町小のあったところ)まで通勤していました。
童話作家をめざしていた新美南吉が夢をかなえた町が、安城です。
彼が半田から安城に来るときは鉄道を使いました。
現在のJR、昔の国鉄です。
三河安城駅も東刈谷駅もありませんでしたが、この東海道本線の線路自体は変わりません。
おそらく新美南吉は、もくもくと煙を吐いた汽車に揺られながらわたしたちの町二本木を通り過ぎ、この街の景色を見ていたと思います。そして、この二本木の牛の話を書いたことと思います。
そして、当時二本木で牛を飼っていたということも、今はもうないことです。
車窓から見えたのかもしれませんね。
二本木の人たちが安城のステンショ(ステーション・駅)まで牛を連れて歩いて行っていることも、こういった話を読んで初めてわかります。

6年生の皆さんは、この話を聞いて、大力の二本木の黒牛を想像し、起きたことを考えながら絵を描きました。

このたび、JR東海道新幹線三河安城駅のご厚意により、一部ではありますがこの「大力の黒牛と貨物列車の話」をもとにした「二本木の大力の黒牛」の絵を年末年始に飾っていただけることとなりました。
地域への深いご理解と温かい配慮に感謝申し上げます。

もしよろしければ、来週以降となりますがご覧ください。

「大力の黒牛と貨物列車の話」    
それぞれリンクしておりますので、ご覧ください。

大力の黒牛と貨物列車の話 1

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(作 新実南吉・原文で表記)

もと二本木村に非常に強いという評判の牡牛がいた。
じっさいにその牛がどの程度強いのか、かつて見た者はなかったのだが、火のないところに煙は立たないということわざがあるからには、何か強いところがあったのだろう。
ほんとうのところをいうと本人でさえ自分がはたしてうわさのように強いのかどうか知らないのであったけれども、そういううわさを立てられて悪い気がするはずはないのであえてとり消そうとはしなかった。
世間がああいうからには、自分は人なみすぐれた力持ちなんだろうくらいに漠然と考えていたのである。
ところで、牛が生物であるように、うわさというものもこれまた生命を持っている。
そしてうわさの生長力の旺盛さにいたっては牛などの比ではない。
うわさの生長の迅速にしてはてしないことをくわしく知りたいと思う人は有名なアイルランドの劇作家グレゴリイ夫人の書いた劇の中に、そのテーマをとりあつかったものがあるからそれについて親しくみられるがよい。
さてうわさの方は非常な迅速さで生長してゆきともすると牛の方でおくれがちであった。
昨日牛は、自分がこの二本木の村でいちばん強いといううわさにでくわし、急いでその気になっていると、もうそのうわさが今日はとほうもなく生長してしまって、なんでもこの牛に匹敵するものはまず近郷近村に一ぴきとあるまいというようなことになっているので、当の牛の方で面くらってしまうしまつであった。
しかしともかく牛は、なんといっても自分の名誉になることだから、汗を流しながらうわさのあとを追っかけていったというわけである。

2 に続く

「大力の黒牛と貨物列車の話」    
それぞれリンクしておりますので、ご覧ください。
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大力の黒牛と貨物列車の話 2

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(作 新美南吉 原文のまま表記)

ところがある日のこと、うわさの方が、急に生長をはばまれるという、牛にとってはおもしろくないことが起こった。 
かいつまんでいうならば、このころ二本木から半道ほど北をとおって西東に通ずる鉄道がひらけ、一日に二三回汽車が走るようになった。
当時汽車は陸蒸気という古風な名で呼ばれ、お狐さまか天狗のように百姓たちの恐怖と好奇心をそそった。
そこで恐怖心も強いが好奇心も強いという三四名の若い者たちが、腰に弁当をさげて陸蒸気の正体をみとどけに出かけた。
そして、自分たちの身を危険からかばいながら、じゅうぶん好奇心の方を満足させうる位置―つまり、山のきりどおしの三町ほど先に鉄道線路がすこしみえるところに陣どって、半日ばかり待ち通し、ついに陸蒸気を見たのである。遠くの方から地震のような前ぶれで近づいてきて、きりどおしの先を、そうぞうしい咆吼でゆきすぎていった陸蒸気は、いかりくるって土提の上をかけすぎてゆく黒牛を彼らにおもわせた。
そして黒牛の一ぴきや二ひきではとてもかなわないもののように思えた。
そこで彼らは村に帰ると彼らの生命がけでみた怪物についての感想を、しごく率直にいいあらわしたのである。

「与ささあの牛でもあいつにゃかなわねえずら。」

それをきいた与ささあの黒牛は、名声の落ちてゆく英雄の悲哀を如実に味わった。
彼は当然自分の敵手(ライバル)である陸蒸気を憎悪した。
陸蒸気とはいったいどんなものだろう。
彼はさまざまにまだ見ぬ自分の敵手(ライバル)の姿を想像したが、牛の想像力といったってたかが知れている。
あるときは、壁のような姿で陸蒸気は牛の脳裡にうかんだ。
またあるときは牛が坂をのぼるとき強大な力で背後へひきもどそうとするあの石材の積荷の姿で。とまれ与ささあの黒牛は、陸蒸気をたおし、ふたたび以前の名声をとりもどさなければならないとかたく決意していた。
汽車にぶつかって汽車をたおす。
なんというばかげた考えだろう。
いまなら、それを口にするだけで物笑いの種だが、何しろ私のおじいさんの若かったころである。
牛で言うと、ゆうに十代ばかり前の、つまり大むかしのことである。
いまでは牛もずいぶん賢(かしこ)くなったけれど大むかしには、そういうばか牛もいたものだ、と牛(うし)仲間(なかま)ではいっている。

3 に続く

「大力の黒牛と貨物列車の話」    
それぞれリンクしておりますので、ご覧ください。
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大力の黒牛と貨物列車の話 3

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(作 新美南吉 原文のまま表記)

機会はまもなくやってきた。
黒牛はアンジョウのステンショへ木材をひきにいくことになった。
牛は話にきいて、アンジョウの停車場では走ってきた陸蒸気(おかじょうき)がしばらく休憩することを知っていた。
突進してくる相手を敵しがたく思ったなら、相手がねそべってうつらうつらと休息している虚をついて、どてっ腹に風穴をあけるというてもあるのだと、そのころの牛としては頭のよい計画をひそかに胸にいだいて牛は二本木を出発したのだった。
牛はまだ陸蒸気について確とした観念をもっていなかったので、途中で二三度へまをやった。アンジョウの村に近くなったとき、向こうから黒い四角な、たちの高いものが人間につれられてやってきたのをみたとたん、彼はこれが音にきく陸蒸気だなと早合点し、これくらいの物ならすれちがいにおしたおすことができるという自信をいだいて、すでに地に近く頭までさげたのであった。
だが念のためたしかめておく必要があった。そこで彼は与(よ)ささあにたずねたのである。
「向こうからくるのはきっと陸蒸気というものにちがいないからして、自分があれをひっくり返すつもりであるがよろしいか。」
すると与ささあはつぎのように答えて牛を失望させた。
「何をうろたえてけつかるだあ。村長さんののってござる人力車がおいでたじゃねかっ。」
それからアンジョウの村の中にはいるとさらに牛はばからしいへまをやった。
玩具の風車を持って小さな子どもがのっている乳母車を陸蒸気と感ちがいしたのである。
これでみると、与ささあの黒牛は内心陸蒸気をひどくおそれ、しかもそれをひたかくしにかくそうとつとめるという、心理的錯乱状態にあったというのが至当だ。
牛は生まれてはじめてステンショというものをみた。
だが彼(かれ)はいま自分のつれられてきた建物が、音にきくアンジョウのステンショであると、すぐ認識することはできなかった。
何しろ牛は大して聡明ではない。
そのうえ、与ささあの黒牛はそのとき前述のような興奮状態にあったのである。
彼は漠然と、いつもとはかわったところにきたことを感じていたにすぎない。
黒い木の柵が長くつづき、その向こうにはこれまた長い鉄の棒が横たわっている。
こういうものもいつかどこかでみたことがあるような気もした。
ともかく、彼はぼんやりしながら柵のある箇所につながれていた。
まもなく牛は、右手の方がなんだかそうぞうしくなってくるのを感じた。
そっちをみると、線路の上に黒い牛みたいなものがあらわれ、腹の下から両側へまっしろな煙をはいていた。
はじめあまり大きくないと思ったが、みているとそれが、すばらしい速力でこちらへ走ってきて、またたく間に巨大な牛(と牛は思った)になった。
与ささあの黒牛は、かあっと頭に血が逆上するのを覚えた。
牛みたいなものにも、とっさの場合にはインスピレーションのような精神作用がはたらくとみえ、だれも説明してくれなかったが、この怪物こそうわさに高い陸蒸気であって、それ以外のなにものでもないということそして自分はとうていこの大牛にはかなわぬ、ということを確然とさとった。
怪牛は与ささあの黒牛のはらの中をみぬいているもののごとく、はげしく歯がみをしながら、まっしぐらに彼の方へ突進(とっしん)してくる。
ああ、このままじっとしているとやられてしまうぞと黒牛が思ったとたん、怪牛の方で、ヒューっというすごい吼声をあげた。吼声はするどく黒牛の体につきとおって、ぴょこんと彼をはねあがらせた。

4 に続く

「大力の黒牛と貨物列車の話」    
それぞれリンクしておりますので、ご覧ください。
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大力の黒牛と貨物列車の話 4

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(作 新美南吉 原文のまま表記・一部中略)

その跳躍が、怪牛を眼にした瞬間から黒牛にかかって彼を動かさなかったところの呪縛をといた。
とさいわい、柵に軽くゆわえてあった手綱もとけた。
与ささあの黒牛は空車(からぐるま)をひっぱったまま、あらんかぎりの力でステンショからにげ出したのである。
しばらくのうちは、がむしゃらに走ろうという想念以外には何もなかったが、そしてまたがむしゃらに走ったが、やがて、彼をさける人びとがおったまげて悲鳴をあげるのに気がつき、と同時に、自分は主人に使われている身分であるが、その自分が主人に対し申しわけのないような大それた失策(しっさく)をしてしまったという想念がうかんだ。
だが、人間にしてもそうであるけれども、牛には、とりかえしのつかぬ大失策をしてしまったというはげしい後悔の苦しみをきらう傾向がある。
できるなら公開をはぐらかしてしまいたいのだ。
だから牛は、もう身の安全をじゅうぶんに知っていながら、強引に街の中を走りつづけていた。

(中略)  5に続く

「大力の黒牛と貨物列車の話」    
それぞれリンクしておりますので、ご覧ください。
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大力の黒牛と貨物列車の話 5

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(作 新美南吉 原文のまま表記)

さて、与ささあの黒牛も、町のまんなかをつっぱしりながらこのてを考えたのである。
彼はどこかの商店へ飛びこむというような大椿事をひき起こせば、人びとの注意をそちらに向け、自分の敗北、暴露された小心がカモフラージュできると計算したのである。
よし、商店に飛びこもう! 
と決心はしたが、どの店に飛びこむかということが、また問題だ。
最初に眼についたのは金物屋である。
店の内側の天井には鋸のたぐいがたくさんつるされ、下には、出刃、錐、のみ、鋏、どれも体を傷つけるような物ばかりがならんでいる。
そういう物の中へもぐりこむことを与ささあの黒牛はこのましいと思わなかったので、つぎに眼をうつすと今度は牛肉屋である。
与ささあの黒牛のみならず、すべての牛が牛肉屋をきらうのであるが、それは同胞の肉塊があるいはかぎにひっかけられ、あるいはきざまれているのをみるいたましさにたえられぬというほどの、センチメンタルな理由からではなく、牛仲間の論理(ロジック)の単純性に由来するのだ。
つまり彼らはこう考える。
牛肉屋には牛の肉がつるさがっている。
自分たちは牛である。
だから牛肉屋にはいれば自分たちもああいう具合に皮をひんむかれ、眼も鼻も耳も角も口もとられてしまう。
で与ささあの黒牛は牛肉屋の前を走りすぎた。
そのつぎには床屋があった。
床屋。
これはいい。
与ささあの黒牛はかねてから一生のうちいっぺんでよいから床屋にはいってみたいと思っていた。
バリカンで頭髪をかったあとで、床屋が茶碗型のくしでもって、バリバリと頭をかくのは、かかれる者にとっていかなる快感であろうかということは、牛がときたま川っぷちにつれていかれ、おカメたわしでもって頸や背中をこすってもらうときの気持ちから容易に察することができるのである。
床屋の客になる人間たちのように、ひじのついたいすの上にゆったりと腰をおろし、白いさっぱりした被布でおおわれ、いつもかゆみのたえない角のつけねのあたりの毛を短くしてもらったあと、あのくしで心ゆくばかりかいてもらう。
牛は床屋の前を通るたびにそれを空想し、そのつどにうっとりとなったものである。
でとりあえず与ささあの黒牛は床屋へ飛びこむことにしたのであった。
床屋はちょうどひまなときで、亭主は好物の棒飴を口にしたままであおむけになって昼ねしていたが、ものすごい破壊音のために耳をさまされた。
このようなひどい音ではいってくる客というものはめずらしいけれどもいったいだれだろうといぶかりながら、やおら半身を起こしたが、客をみてなっとくできた。しかし彼は剛腹な侠客肌の男であったからおどろききはしなかった。
なめかけの、紅白だんだら模様のねじ飴を手に持つと、きょとんとしている牛のところへ歩みよって、坊よ、坊よ、ここはおめえのくるところじゃねえよ、さ飴をやるから出ていきな、といったのである。
牛は口に押しこまれた飴をにんじんと思ってかんでみると、奇妙なものである。
歯ににちゃついて、いかなる草やこくもつよりもたべにくい。
そして甘たるいものがとけてくるのが著しくいやだ。
はき出そうとしたが歯にねばりついていてとれない。
床屋なんかにきて失策(しま)った、こんなことなら八百屋にはいった方がよかったと牛は残念に思いながらすごすごと床屋を出た。
まっさおになった与ささあが、息をきらせて飛んできて、床屋の亭主にあやまり出したのは一分とたたないうちのことだった。侠客肌のある亭主は、なあに分別のねえもののしたことしかたねえよ、と太っ腹をみせていたが、眼に角を立てて出てきた女房のいい分もいれて、店の損害賠償だけはしてもらうことにした。
金額みつもりにさいして、床屋は五百円でよいといい、与ささあは二百円くらいとふみ、なかなか話がきまらず、与ささあと床屋の女房は声もあらくなってきたが、亭主はあくまで腹の大きいところをみせ、なあに、五百両いただきゃあなんとかなるだあ、はっはっはっと笑ったりするのを、黒牛は表から、興奮のひいたあとの甘い物悲しいしい感傷にひたりながらぼんやりみていたのである。
私のいとこの大吉のやったと同じような、與ささあの黒牛のこの計算もある程度成功し、さしあたっての目的は達せられたが、村に帰ればまた黒牛の悩みはあるはずだった。
陸蒸気をみてにげたとうわさするにきまっているからだ。
だが彼は、そのときはこういって弁解しようと考えた。
「卑怯にもほどあいというものがあるじゃらに、あいつは一ぴきで向かってこなんだ、三十ぴきくらいつながってうせただ。」
さてこのばからしい昔話の結末だが、ロシアの民話の結末がたいていみな同じであるように―それはこうだ、
「こんなふうにしてイワンは美しいお姫様を救い、ふたりはめでたく結婚しました。私も結婚式にまねかれていって、蜂蜜をたんまりご馳走になりましたが、ひげをつたってこぼれてしまい、一滴も口にはいりませんでした」
―牛の話というものもだいたい結末はきまっている。
ロシアの民話をまねていえばつぎの通りである。
「そこで黒牛は屠殺所(とさつじょ)でめでたくなってしまい、私もそのご馳走をいただいてみたが、歯が弱いせいか、かみきれないので困りました。」
ちなみに、床屋の侠客肌の亭主は、紅白だんだら模様のねじあめを牛の口におしこんだとき、牛がいやな顔をして店を出ていったのをみて、牛はあの飴がきらいであるとみてとり、その後牛よけに、店の前に飴をかたどった棒をたてることにした。
そして全国の床屋が集まった同業組合会議席上で、彼がその牛よけのききめのあることを発表したことから、いまでは全国の床屋が彼のまねをするようになったと、牛仲間ではいっている。



「大力の黒牛と貨物列車の話」    
それぞれリンクしておりますので、ご覧ください。
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最後のマラソン大会!

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6年生にとっては最後のマラソン大会です。
校庭内のグラウンドをこうして駆け回ることも、校庭外の道をこうして全力で走ることも、今後なかなかないことかもしれません。
そして、6年生の皆さんそれぞれが、自分の目標を超えるために頑張っている姿も印象的でした。
最後のマラソン大会。
皆さんがその思いがいっぱいに詰まった、ナイスランを魅せてくれました。
応援に来てくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました。
そして皆さん、お疲れさまでした!
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年間行事予定
3/4 朝の読み聞かせ(5年・ポプラ組・とんぼ組)
児童委員会(後期最終)
3/6 朝の読み聞かせ(2年)
6年生を送る会
第65回安城西中学校卒業証書授与式
第41回篠目中学校卒業証書授与式
3/7 全校朝会
3/8 ストーリーテリング(1年・2年)
3/9 休業日
3/10 休業日

学校だより

各種配布文書

学校配布文書

安城市立二本木小学校
〒446-0055
愛知県安城市緑町1丁目23番地1
TEL:0566-76-4449
FAX:0566-76-4407