誰かのために
- 公開日
- 2021/03/04
- 更新日
- 2021/03/04
ギャラリー
長男に生まれた私は、ことあるごとに「お兄ちゃんなんだからしっかりして」と母親に言われた記憶がある。下に妹をもち、兄として手本を示すのは当然だと自分に言い聞かせていたのを思い出す。幼い頃はそれでよかったが、中学生くらいになると、「しっかり生活するのはみんな同じだ。上の子、下の子で区別するのはおかしい。」と屁理屈をこねたくなった。実際に、「どうして妹にはそんなに甘いんだ。」などと言って、反発したこともある。すると母親は顔を真っ赤にして、「どうしてあんたはわかってくれないの!」と怒っていた。何をわかれと言うのだ。上の子だけが頑張らなくてはならない理由を示せと、私は心の中でつぶやいたものである。
これは、この記事の執筆者である私が大学時代に書きました。国語科の講義を受けた際、「納得のいかないこと」をテーマに原稿用紙1枚以内で作文を書く課題が出ました。その時の物です。
なぜ、今この文章を持ち出すかというと、最近、母親と同じようなことを言っている自分に気づいたから。
先日、3年生が晴れ晴れしく卒業をしました。2年生は、最上級生となります。そんな話の中で、「しっかりしないとね。」と、つい口に出してしまったのです。すると、ある生徒は言いました。「それ、小5年生の時にも言われたわ。」それに続くように、生徒たちは言います。「そうそう、自覚をもてとかね。めっちゃ言われた。」「別に俺らからしたら、そんなに生活変わりませんからね。」・・・確かにそうだと思いました。「しっかりする理由」は、なんだろう。生徒は、当時の私と同じ気持ちを抱えているのです。
最近になり、ふと母親が私に言いました。「あなたがいつも妹に手本を見せてくれたから、妹はとても楽だったと思うよ。」
・・・なんだ、そういうことか。「年が上だから」ではないのです。「知っていることが多い私が、妹に色々と教えてあげてね。」と、そう言ってくれたら納得できたのに。誰かのために行動することは、少なからず悪くないと思えるものです。ちなみに、妹とは互いを尊敬し合い、素敵な関係が続いています。
明中生が、「上級生だから」という言葉に縛りつけられないために、私は生徒にこう伝えたい。
「誰かのために、やるんだよ。」
もうすぐ3年生。卒業生が見せ続けてくれた背中を、今度はみんなが後輩に見せてあげてね。先輩から引き継いだ、多くのものを背負った、その背中を。