【安城市歴史博物館からのお知らせ】今年は「日本デンマーク100年」日本デンマークと呼ばれた時代-100年前の碧海地域と農業-
- 公開日
- 2025/04/06
- 更新日
- 2025/04/06
おしらせ
安城市歴史博物館では、4月19日(土)から、企画展「日本デンマークと呼ばれた時代-100年前の碧海地域と農業-」を開催します。
「えっ?日本デンマーク?」{デンパーク?」なんて思う人もいるかもしれません。
新5年生より上の年齢の方(大人も含めて)は、安城市がかつて台地状で水源に乏しく、ため池などで農地等を潤していたことや、そのための池の水争いなどがあったこと、その後、明治用水というものが開削されて、安城が田畑でいっぱいになる農業の町になった…という勉強をしたと思います。
でも、実は用水をひいただけではすぐにたくさんの田畑はできません。
町が繁栄するために、たくさんの方が毎日努力しました。
機械もない時代です。
土地もやせていたので遠くまで肥料となるものを買いに行ったり、手に入れていったりしたそうです。
稲が育つまで税金を取らないよう交渉してくれた方もいました。
さらには、これからのことを考えて、農業のことを学ぶ場所を創るべきだと考えて学校をつくりました。
効率よく農業ができるように、様々な種類の農作物を作り、循環して活動し、成果が上がるようにしました。
みんなで共同で販売する組織を作り、名産となるものをいくつか作りました。
やがて、りっぱな病院ができたり、町が栄えていったりしました。
様々な農業技術やその経営方法、農業によって町の様々なものが整えられ、町全体が充実してくる。
それを、当時の農業先進国であるデンマークに例え、日本の中のデンマーク、「日本デンマーク」と専門雑誌で称されるようになりました。
そこから、およそ100年だそうです。
明治用水が開通したのが、1880年。
現在が日本デンマークと称されておよそ100年ですので、引き算をすると1925年。
用水が開通してから、世界の農業先進地になぞらえて高く評価される町になるまで、そこから45年もかかっていると考えると、用水を作った後の先人の皆さんの努力というものも忘れてはいけませんね。
今回の展示は、そんな成果が表れ、他から認められた時代について、わかりやすく紹介するものです。
以下は博物館のウェブサイトからの引用です。
大正から昭和初期の碧海郡一帯(安城市も含む)は農業の発展が著しく、複数のメディアから「日本デンマーク」と呼ばれていました。
特に安城市域はこの時期に大きく変化し、先進的な事例として日本全国から視察者が押し寄せました。
しかし、このような発展は行政だけの力ではなく、人々の行動によって支えられました。
「日本デンマーク」の形成には、明治後期までに整えられた農業生産基盤や、第一次世界大戦後の販路の拡大など、様々な要因が関係しています。
今回の展示では、当館収蔵品を中心に、碧海郡が「日本デンマーク」と呼ばれた時代の、農業やくらしについて紹介します。
明治用水、その後。
第2幕という感じでしょうか。
この努力がなければ今の安城市の発展はなかったと言えます。
展示では、様々な講演会もありますが、ボードゲーム体験会などもあり、事前申し込みが必要なようです。
詳しくは、こちらの公式ウェブサイト、安城市歴史博物館企画展のおしらせをご覧ください。
ちなみに、チラシにある感じの「丁抹」。
当て字ですが、これで、「デンマーク」と読ませます。
アメリカは「亜米利加」だから「米」、イギリスは「英吉利」だから「英」です。
そんな豆知識も知っておくと面白いですよ。
以上、歴史博物館からのお知らせでした。