最新更新日:2024/05/14 | |
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和算家・天文学者「石川喜平」特別展示会開催のお知らせこの方は高棚村に生まれた後、20歳で岡崎にある和算家のもとに修行に入ります。 他の小学校出身の皆さんは知らないかもしれませんが、高棚小学校の正門の横には、石川喜平の胸像があります。 (写真はその胸像です) 34歳の時には師範免許状を受け、多くの弟子を持つ数学者となったそうです。 その後、和泉村の都築弥厚から明治用水開削計画に協力することとなります。 石川喜平の測量をもとに幕府が決定した水路は、志半ばにして一度叶わぬ夢となりますが、その後皆さんが小学校の時に学習したように再度計画が実現されました。 その時に建設された現在流れている水路は、石川喜平が計画した時のものとほぼ変わらず、極めて正確な測量図を表しているのだそうです。 わたしたちのふるさとに、すごい数学や測量、設計のできる人がいたことを覚えておいてください。 明治用水実現のために学んだ都築弥厚は和泉町(丈山小学区)、石川喜平は高棚町(高棚小学区)、岡本兵松は石井町(丈山小学区)、伊与田与八郎は豊田市(豊田畝部小学区)と、4名中3名は本校区小学校にゆかりのある方です。 また、通水後の開拓期の租税免除延長を強く訴えて農業の発展に尽くした杉浦源右衛門も福釜町(安城西部小学校区)であり、福釜駐在所横に銅像が立っています。 通水後の発展の努力についても、本校区の先人は頑張っていました。 …余談ですが、戦後つくられた愛知用水は、西三河や知多半島を潤す「夢の用水」として計画されました。その中心となった方のひとりは、当時安城農林学校(現在の安城農林高等学校)の教諭浜島辰雄という方でした。 岐阜県から知多半島先端までの実地での調査を行い、たった2ヶ月でで浜島先生は概要図を完成させたそうです。 首相官邸での吉田茂首相への陳情もこの浜島先生の作成した図が活用されることとなり、愛知用水実現の立役者となったそうです。 安城にゆかりのある方の活躍があって、愛知県のこの地が潤っていることも少し覚えておいてくださいね。 さて、話を戻しましょう。 数学好きの方や歴史好きの方は、テスト後の土日などにぜひ「水のかんきょう学習館」に訪問されてはいかがでしょうか。 開催は本日10月12日(水)から10月30日(日)までです。 以上、お知らせでした。 |
愛知県安城市立安城西中学校
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