学校日記

家康公特設サイト「家康公 天下への始まりの地 安城」開設!(安城市観光協会より)

公開日
2022/12/31
更新日
2022/12/31

日々のできごと

学校も年末年始のおやすみとなりました。
皆さんいかがお過ごしですか?
皆様、よいお年をお迎えください。

さて、本日は安城市観光協会からいただいた情報です。
このたび、安城市観光協会では、NHK大河ドラマ「どうする家康」の放映に合わせ、家康公特設サイト「家康公 天下への始まりの地 安城」を開設したとのお知らせがありました。

皆さん、安城市や安城西中学校区に住んでいます。
そこで、今回はぜひ、徳川・松平家がらみで知っておいてほしいなということがありましたので、この機会にあわせてご紹介しておきます。

皆さん、徳川家康と言えば、岡崎市に関係する人というイメージもあります。
三河の地から天下人となった家康ですが、そのおじいさんの安城松平家の松平清康が岡崎に移るまでは、現在の安城市歴史博物館のある安祥城址・あんしょうじょうし(安城城跡・あんじょうじょうあと)に居を構えていたそうです。
知ってましたか?

そして、ドラマに出てくることはないと思いますが西中学区にかかわることも少し知っておいてほしいなと思います。
観光協会の当サイトを開いて見ていただくと、松平家(徳川家)家系図が表示されるのですが、その中に「親盛(福釜・安城市)と書かれている方がいます。
今回の家康の流れをくむ「安城松平家」同様、実は現在の福釜町地内にも同じように「福釜松平家」という方々がいて、この一帯に館があったと言われています。
知ってましたか?
一部の生徒は登下校で石碑も目にしていると思います。
知ってましたか?

福釜松平と同様、松平家の一派であった安城松平の流れを受けた家康公が、清康公の悲願であった三河平定を達成し、その後天下人となったのです。

安城西中学区、福釜町にも松平氏がいたのですよ。

そして、最後のお話です。
おそらくドラマ「どうする家康」が始まって1月〜2月には登場するであろう場所。舞台は、桜井中学校区の野寺町にある「本證寺(ほんしょうじ)」です。
実はこのお寺。お寺なのに今でも大きなお堀があるんです。
一見の価値があります。

なぜドラマに出てくるのか。

実は…家康には、「三大危機」があったそうです。

ひとつは浜松で武田信玄と戦い、命からがら逃げだした「三方ヶ原の戦い」
ひとつは本能寺の変後、少人数しかいない家臣と大阪の堺から三河に帰った「伊賀越え」

そして、最後のひとつは家康にとって最初におきた大きな危機、味方の家臣にも見放された「三河一向一揆」です。

そう、この「三河一向一揆」の舞台は安城です。
本證寺が「三河一向一揆」の拠点の一つであったとされています。

当時の寺社は強くて家康と特権を巡り対立していました.
「三河一向一揆」は、自分の家臣が分裂してしまうほど大きな戦に発展しました。
家康公自身も銃弾を2発受けたそうで、かなり厳しい戦いだったようです。

皆さん、そんな戦いが安城であったって、知ってましたか?

こうしたドラマにも出てきそうな舞台がサイトに表記されています。
なお、安城市歴史博物館でも2月に特別展「家康と一向一揆」が開催されますので、ぜひご覧ください。

家康のおじいさん、松平清康が現在の名古屋市守山区のあたりで暗殺され、安城という地は尾張の織田氏と駿府(静岡)の今川氏とで、常に勢力争いが行われた場所でもあります。
家康も今川氏の人質として駿府に行くと思ったら、家臣に誘拐されて織田氏に売られちゃうとか、幼少期大変な思いをしたようです。
桶狭間の戦いを、織田対今川の戦いというだけでなく、家康の目線で考えるのも、面白い学びが生まれるかもしれませんね。

以上、それぞれのふるさとに帰っている人もいるかもしれませんのでお知らせをしました。
来年の比較的早い段階で放映されるであろう「どうする家康」の安城が舞台の場面など、また話題にしてみるのも面白いかもしれませんね。
地元、安城や三河地方の歴史にも興味を持ってもらえると嬉しいです。

それでは、よいお年をお迎えください。

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